BLOG|#4 ふたりよがりとsuisei

「suisei」という曲について語ろう。

これまでの自分は、
「聴いてもらった人が解釈するものであって、作者が押し付けてはいけない」と思っていたし、
「100人中100人が同じ答えにたどり着けるような言葉で歌詞を書くんだ」と思っていたし、
「音楽を音楽以外の方法で自ら語るなんてダサい」と思っていた。

というか現在進行形で今もなおちょっと思っているし、今こうしていざ文字にするのはとても気恥ずかしい。

音楽を語るなんて、と言いながら、ナタリーとか、ロキノンとかでインタビュー受けたらなんて答えようかな、ってずっと考えていたし、

「DAMチャンネルをご覧の皆さんこんばんは」って言う妄想を幾度も超えて、今の自分は生きているのです。

かっこ悪い。

でもそんな自分の曲をいまだに好きだと言って聴いてくれる人がいる。
その人たちには報いていきたい。

だから、僕なりの解釈と、思いの丈を書く。
それが、あなたの解釈と、感情とは必ずしも一致しないだろうけれど、

それでいい。国語のテストじゃあないんだから、答え合わせなんて要らない。

あなたが読みたければこの続きを読んでくれたらいいし、
自分の解釈だけでいいならそっと戻ってくれればいい。
そうは言ってもわざわざこれを見に来てくれているのだから、読んでほしいとは思っている。

「ふたりよがり」という曲を覚えている人はいるだろうか。
わざわざこれを読んでいる人なのだからたぶん知ってはくれているだろうが。

あれは、うちのおじいちゃんが死んだ時に書いた曲です。

馴れ初めなんて一つも知らないけれど、こうだったんじゃないか、
こう思っておばあちゃんと一緒に居たなら素敵だなって、そういう思いで書いた。

聞きたい人はこちらからどうぞ

歌詞を読んでもらえればわかる通り、suiseiはこの曲のアンサーソングです。

おばあちゃんが死んだ時、どう感じていたんだろうか、
どう思って、どう生きて、どう愛して、どう死んだのかを考えた。

認知症になって、ぎりぎり俺とお母さんのことは覚えていたけれど、
施設の中でたくさん愛情をもって世話してもらってはいただろうけれど、

部屋の中でひとり、何を思っていたんだろうか。

仕事の都合で、おばあちゃんがいる施設には来月には行く予定だった。

その時に会えるし、まぁいいか、なんて思っていた。
(なんせかなり元気だった。ほんとに。)

こういう時、大体こうやって後悔をする。
本当に成長しない。

悔しいよな。ほんと。

結局、曲っていう形でしかこういう感情を消化できないのもどうなんだとは毎度思うわけですが、
それでも何か、形に残せるならそれも悪くないと思うのです。

「花が咲いて枯れるように、惜しまれるならそれも素敵でしょう?」
なんて、そんなきれいな感情ではなかったかもしれない。

それでも、そんな風に思って終わりを迎えたんじゃないかと思うくらい、きれいな最後だった。

僕らはいつだって後悔をするけれど、それでもこうやって、
音楽にできてよかった。

聴いてね。

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