BLOG|#7 ロープウェイ

先日降った雨で散った桜を踏みながら歩いた。
厚手の上着はもう必要なくて、日差しが当たればほんのり暖かくて、日陰に入れば少しひんやりする。
学生時代は節目節目に何かしらの「式」があって、生活や季節には区切りがあった。
最期の卒業式を終えて社会人になって、そういったものが希薄になった。
中学を卒業して高校に入るまでの間だったり、
専門学校を卒業して就職するまでの間だったり、
そんな「なにものでもない」期間が結構好きだったなと思い出す。
物心ついた時にはすでに立派な「保育園児」だった僕は、「学生」を経て「社会人」になった。
気付けばいつも何かしらの肩書が乗っかっていて、それが少しの間だけ外れて、
晴れて肩書のない「人」であったのはその短い期間だけだったのかもしれない。
そうやって常に「何者」かであることを強いられてしまう僕らも、
今では「教科書」や「制服」が変わることもなければ、隣の席の人間が変わったりすることもない。
行く道も帰る道も、あるいは乗る電車もよく行くコンビニも、さらには寝る場所も起きる時間も変わらない。
誰かが提供してくれていた「変化」は、自ら望まない限りもう手に入らない。
新しい場所、新しい人、新しい物、それはなんだっていいけれど。
変化しながら歳を重ねることを「成長」と呼んで、変化を止めて歳を重ねることを「老い」と呼ぶのかもしれない。
長生きしたいなんて思わないけれど、老いて死にたくはないのだ。
始まりも終わりも、それだけは押し並べて平等な僕らは、
道中を精々ユーモラスに飾って笑いたいなんて思ってしまうのです。
それでは、また。

